宮大工について
宮大工の技
宮大工は、釘・金物等を最小限にとどめて、木と木の接合部・継ぎ手・木組みなどに伝統的な技法を使って神社、 仏閣の建立などを行う大工です。
弊社では宮大工の技術を住宅の建築にも取り入れ、一般的な大工の技術と組み合わせながら設計等を行っております。 特に数寄屋風の建物では表現にメリ・ハリをつけております。
宮大工の3つの技
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「木組み」
建物の骨組みにおいて釘や金物などに頼らず、木自体に切り込みなどを施し、 はめ合わせていくことで木と木をがっしり組み上げていく技術のことを「木組み」と言い、 古来より日本の職人たちによって受け継がれ、洗練されてきた「伝統工法」を基本としたものです。
木材の加工を全て「手刻み」で行い、それには「木を読む・見る」という作業が重要になります。 木の生育常態やそれぞれの木の性質を読み、どういう用途に適すのかが決められます。 「手刻み」された「継手」「仕口」と呼ばれる技術によって、材と材を強固に繫ぎ合わせ、 地震の多い日本の環境から建物を守ります。
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「継手」
木材の長さが十分でない場合に、材木の長さを増すために材を継ぎ足すときに使われる手法を 「継手(継ぎ手)」と言います。
「継手」の手法は「腰掛鎌継ぎ」「台持ち継ぎ」「追掛け大栓継ぎ」など70くらいの種類があるとされています。
これにはパズルを組み合わせるような複雑な知識と共に、正確に材木を削る高度な技術が要求されます。
材木をはめ込み後は表面からは全くその複雑さは見えない上に、繫ぎ目も殆ど分らないくらい精巧なものが完成します。
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「仕口」
2つ以上の木材をある角度に接合する技術を「仕口」と言います。
土台と柱のつなぎ目、梁と桁のつなぎ目などそれぞれの木材を組むときに使われ代表的な手法は「兜蟻掛け」 「大入れ蟻掛け」などと呼ばれるものがあります。
また、「規矩術(きくじゅつ)」と呼ばれる縦、横、斜めに複雑に組み合う木材の接合部分を一本で 組み上げる手法は宮大工の経験やそれぞれの地域や組織、師匠による言い伝えにより秘伝であるとされています。
宮大工の歴史
宮大工の歴史は飛鳥時代(7世紀頃)に朝鮮から来た、慧滋(えじ)と慧聡(えそう)という二人の僧侶が飛鳥寺 を建てたことから始まったと言われています。
これと同時期に聖徳太子も朝鮮から来たこの二人の僧侶から教えを受け、法隆寺などに代表する歴史的建造物を建立 したと言われています。聖徳太子は宮大工の間では今でも神様として拝まれています。
昔の日本では僧侶が自身の寺社の建築や修理にたずさわり大工の仕事をしている場合が多かったようで、 宮大工の先祖は僧侶だったと言われています。
宮大工には「従弟制度」があり、師から弟子へ口頭で技術を伝承していきます。古来より受け継いだ技術が現代にも伝わっているのです。
宮大工の知恵
世界的にみても地震大国の「日本」。その結果、古来より日本の建造物には、地震の揺れに耐え得る工夫がされてきました。 伝統的な建造物は、昔から日本のこの風土に合った構造で建てられています。
昔の宮大工は、釘をほとんど使わずに建物を建てていました。これは木に釘を打ち付けるよりも木を組み合わせた方が、 地震などの自然災害に耐え得る耐震性をもっていたからです。
また、「礎石(そせき)」という石を建造物の土台にしてその上に柱を立てることで地震の揺れに対する反発 を抑え建物の崩壊を防ぐ事ができます。また地面から木材に湿気が吸い上がるのを防ぎ、 木材を腐りにくくする工夫でもあります。この他にも屋根や軒の曲線の美しさをもつ伝統的な建造物は、 宮大工の多くの知恵によって建てられています。
数寄屋造りについて
茶室風の様式を取り入れた建築。安土桃山時代から、江戸初期にかけての茶の湯流行に伴い、邸宅に用いられた。 装飾を排した簡潔さを特徴とする建物です。
すっきりとした造りの中に「わび(侘び)」+「さび(寂)」のおもむきを表現する事を考えています。
大工の七つ道具
家を建てる上で大きな役割を担う「大工」の七つ道具とは
サシガネ(指金・差金・曲尺)
ステンレスや鋼、真鍮などの金属製で目盛りがついており、材木などの長さや直角を測ったり、 勾配を出したりするのに使われる定規。L字型をしており、両方の辺(長手と短手(妻手))に目盛りがある。
これ1本で、直角な線を書いたり、角度を計算したり、縮尺を計算したりなど建物を建てる為の採寸や計算ができます。
今で言うコンピューターの役目を果たしてくれます。
ゲンノウ(玄翁)
ノミの叩き込みや釘打ちに用いられます。大工道具の中で最も古い歴史を持つと言われており、 似た類の道具には、カナズチ、トンカチ、ハンマーなど様々な呼び名があり、 それぞれの定義がはっきりしない部分もありますが、ゲンノウという場合には正確には両口玄翁と言い、 2対照的に打面がつある物を指します。ハンマーは欧米で考えられたもので、打面は一つで対称的にはなっていません。
カンナ(鉋)
木材の表面をけずって加工する目的で使われます。表面を平滑に削り肌目を美しく仕上げる道具です。
長方形の樫の木台に刃を仕込み、木材に当てて、削ります。 鉋にもいろんな種類があり、面だけでなく角を丸く削る物も有ります。
明治〜昭和初期の時代から、西洋のカンナの影響で二枚刃が主流になっている。 下側をカンナ身(カンナ刃)と呼び、上側は裏金(押金)と呼ばれる。
裏金には逆目や食い込みを防止する効果があり、スムーズなカンナがけ作業を可能にしている。 カンナ刃の幅を身幅(みはば)といい、カンナのサイズはこの身幅で表す。
ノミ(鑿)
木材の穴彫り、削り加工に用いられる道具です。 ノミにも色んな種類があり、平ノミ・丸ノミ(裏表)などがあります。
通常ノミと言えば「たたきノミ」を指します。カナヅチでたたくノミです。 穂の断面が六角形なのが「追入れ(おいれ)ノミ」と呼び、 穂の断面が長方形なのが「向待ち(むこうまち)ノミ」と呼ばれています。
ノミの使い方は大工の仕事の中でも難しく俗に「穴ほり三年」といわれています。
ノコギリ(鋸切り)
ノコギリ(鋸)は木材を切断するときに使います。 ノコギリは鍛えた鉄で偏平に薄く長方形に作り、側面に無数の細かい強靭な歯が刻んであります。
手で使用するものと機械などによって作用させる丸型、帯型のものがあり、 木の目に沿って切断するする鋸を『縦挽き』木の目に直行するように切断するノコギリを『横挽き』といいます。
現代では一般には横挽き用、縦挽き用と、両方の刃のついた通称両刃ノコギリが代表しています。
特殊なものとして石材、金属材用のものもありますが、ほとんどが同じ原理でできています。 ノコギリは世界的な工具ですが、引切り型は日本以外の国ではほとんど使用されておらず、 世界各国では押切り型が主に使われています。
チョウナ・チョンノ(釿)
丸太材の上面を平らにしたり丸みの部分の不要部分を除去したりする道具です。 形状は柄が「し」の字に曲がった斧のような形をしていおり「ておの」とも呼ばれています。
日本では弥生時代に中国、朝鮮から伝わった「扁平片刃石斧」がチョウナの由来です。 材質は石や貝、銅、鉄などで木の柄をつけて使用します。
チョウナは木の加工や木材のくりぬきの為の道具として用いられ、世界各国に分布しています。 現代では木造建築の減少や洋風建築の普及の為、大型の用材を使うことが少なくなり、 大工道具としてのチョウナの出番は少なくなってきています。
スミツボ(墨壷)、スミサシ(墨刺)
- スミツボ(墨壷)
- 長い直線を書いたり、墨汁入れになり、下げ振りの役目をします。 墨壺は、墨汁を浸した真綿の入った壺(池)、墨糸、糸を巻きとる車、 糸を固定する軽子(仮子)などの各部で構成されており、 壺の中を通過して墨糸が繰り出せる構造になっています。 材料にはケヤキがよく使われています。
- スミサシ(墨刺)
- 墨壷と併用し、線を書いたり材料に番号を書いたします。 今で言う、ペンのようなものです。 25センチメートル位の長さの竹の一端をへら状にし、 その先端を薄く割り込んで筆代わりに用います。 大工の腕は、墨さしの造りでわかるといわれています。
神社の施工例
昭和村 能楽堂の建設
岐阜県美濃加茂市の「日本昭和村」能楽堂を施工させていただきました。
能と言う伝統文化の粋を再現するために日本古来の木造軸組工法にこだわって施工しています。
舞台はもちろんのこと、内部の和室や廊下も伝統文化を大切に施工致しました。
ただ、全てを伝統のままという訳ではなく、使用者の使い勝手を考えトイレなどは洋式にし使いやすくしてあります。
こうした伝統的な工事技術を持つ職人の技があることも技術の一つと自負しています。
木造軸組工法とは?
日本の伝統的な工法で、土台や梁などの横軸と、柱の縦軸、そして筋かいと呼ばれる斜めの軸で骨組みを支えています。
耐震性は筋かいの入る壁を建物の遇部などに配置することで確保しています。他の工法と比較して構造的な制約が少ないので、設計やデザインの自由度が高く、狭小や変形敷地にも対応しやすく、最近では太い梁を採用することで柱の少ない大空間をつくるケースも見られます。
木材の表を見せる
水川建設では長年数々の施工を行ってきた熟練された職人の手によって加工された美しい木目の柱をご提供しております。