80年の歴史
水川建設の歴史
先々代水川鶴吉が「水川製材」として戦前より製材業を始める。
その間、美濃輪久夫がお手伝いとして、顔を出し製材にあたる。水川鶴吉が病にたおれ、美濃輪久夫がその後継者として仕事をつなぎ、建築(特に入母屋造り・神社等)にも力を注ぐ。美濃輪久夫が高齢となり、遠縁にあたる中島善敏がその後を継ぐ、社名を水川建設(株)とする。
それまで技術力のある大工、ゼネコンで得た自身の技術を結集し、和モダン・古民家風・数寄屋風造りの住宅をメインとし、今日に至る。
昭和村(美濃加茂市)における「やまびこ学校」「能楽堂」も手がけ、瑞浪市においては、上山田地区の神社も手がけている。地味でありながら80年近くの歴史の中で決して多くはないかもしれないが、300棟以上の建物造りの経験を大切に、お客様の立場に立った建物造りに、今後も取り組んでいきたいと思っております。
想い
北海道の小樽へ旅行へ行ったときのこと。
昼食にふらっと立ち寄った寿司屋さん。 7~8人が座ることの出来るカウンターがあるだけのこじんまりとしたお店でした。
元気の良い店主が『いらっしゃい!』と威勢よく迎えてくれて、お茶を出してくれた奥様であろう女性に、『おまかせでもいいですよ。』と笑顔で声をかけられました。
『それじゃあ、おまかせで!』とこちらも元気に声をかけると『はいよっ!』とそれに負けない元気な声が返ってくる。
本当においしい寿司と創作料理を一品だしてくれました。
『この店は小さいけれど、お客さんに向き合い、会話を楽しみながら食べて頂くことに重点をおいているんですよ。大きく広いお店もいいけど、自分が手がけていかないとお客さんの顔と心が見えてこないんです。
お客さんが満足してくれたかどうかわからないんですよね。』
そういって店主がにぎりを出してくれました。
大変おいしい新鮮なネタ、創作料理のおいしかった事今でも店主の顔と寿司を忘れることが出来ません。
寿司の味にも勝る店主の心からお客さんを愛する心意気、そこにわたしは一瞬で惚れ込んでしまったのでしょう。
私も住宅建築に関わっている身として、あの寿司屋の店主のようにわたしも、お客さんの満足が見える『こじんまりとした』住宅会社としてしっかりとお客さんと向き合い、中身の濃い住宅づくりに取り組んでゆきたいと思っております。